母と娘が護るもの


冷たい北風と晴れやかな陽光がワンセット。

典型的な初春の日に訪れたのは、三浦市初声高円坊『加藤農園』のご自宅兼作業場だ。代表の加藤美代子さんと美代子さんをサポートする娘さんの蔭山利子さんが切り盛りしている。

2年前に長く患っておられたご主人に先立たれたとのこと。利子さんのサポートはさぞや心強いことだろう。

ここは幹線道路から折れて、一本道ではあるけれど、極端に狭い小道を登った中腹にある。右手はガードレールもなく、すぐ下は畑だからかなりスリリング。対向車が来ませんように、と祈りつつ匍匐前進のように車を進める。「むかしから全然変わってないんですよ、ここは」と美代子さんは笑う。ご自宅もおそらく百年は経っているとか。そもそもここで何代続いているのか正確には分からないそうだ。

要するに頓着していないのだろう。

広々と開けた大根畑が多い三浦にはめずらしく、ここは狭い谷戸のようになっている。事実、美代子さんの畑は離れた高台にあるという。伝えられたところによれば、その昔は、米、三浦大根、甘藍(かんらん)が主な生産品だったとのこと。

甘藍とはキャベツの意。昭和20年ころまでは一般にそう呼ばれていた。そういえば昭和19年生まれの筆者もかすかに覚えがある。近年は、大根のほか冬瓜やキャベツも作ってきたが、14~5年前から小麦も手掛け、現在は“ゆめかおり”という品種を育てている。“ゆめかおり”は栃木県でパン専用小麦として開発されたもので国内産最高水準と賞される。

じつは利子さんの夫君は、同じ初声で『充麦』というベーカリーを営んでおられる。筆者も以前からここの力強いパンが好きでときおり買っていた。店名の充麦(みつむぎ)にもなんとなく店主の想いがあるように思えて好感を抱いていた。ベーカリーというと舌を噛みそうな名前で老人には覚えにくいのが多く、常々閉口していたから。なるほど夫唱婦随のパン屋さんだったのか! すっきり腑に落ちた。

基本、美代子さんと利子さんの二人だから人手が要るときは近隣の人にお手伝いを頼む。とはいえ、とうぜんのことながら野菜の生産量も限られる。それでも沢庵は漬け続けているそうで、五斗樽を毎年2~3樽仕込む。米糠で漬ける浅漬沢庵のほか、ふすま漬沢庵も仕込むと聞いて、 「え、ふすま漬って?」と思わず聞き返した。

ふすまは、小麦を精麦したあとの外皮。それを挽いた粉は低糖質で栄養価が高く最近はブランの名でも知られる。ふすま漬は、お恥ずかしいことに少しも知らなかったのだが、三浦半島の特産加工品だという。三崎漁港から出航する遠洋マグロ漁船にも積み込まれるそうだ。つまりは伝統の郷土食ということか。 利子さんがスッと立ったかと思ったら持って来てくれたのは、見るからに武骨な古漬け沢庵。

これがふすま漬!さっそく口に入れれば、まさしく郷愁の味だった。昔の沢庵ってこうだったな。ふすま漬は、伝統食の例に漏れず家ごとに作り方が細部で違うらしいが、美代子さんの場合はこう。

大根は半月ほど干す。ふすまは蒸籠で蒸してから干し、乾燥したら塩を混ぜ合わせて、樽に大根とふすま塩を交互に詰め、重しをして1年から2年置く。 己の不明はさておいて思わず膝を叩いた次第。塩蔵品は、ある程度の量の塩を使って仕込み、時間をかけて塩が枯れるのを待つのが本来。そうやって初めて材料の持ち味が引き出される。戴いたふすま漬も淡い鼈甲色を帯びて硬く、よく噛んでいると塩気の後から優しい大根の甘みが口に広がっていった。

ご主人から手渡された加藤家の分を守る美代子さんに悲壮感はない。それどころか、屈託のない笑顔やこちらの話に耳を傾けるときの真っ直ぐな眼差しは、三浦の土と生きてきた美代子さんの強靭な優しさを物語る。

いつの間にかふすま漬沢庵の味と重なったと言ったら失礼になるだろうか。平和な集落のたまかな暮らしの中で、美代子さんが静かに守ってきた伝統の味。地域の、また加藤家の宝として営々と引き継がれることを祈りつつ、思わぬ長居を詫びて辞した。